12月10日は世界人権デー。
「一人一人の人間としての権利を尊重し、守っていくとはどう言うことなのか」
単純な質問ではあるけど漠然とした答えしか出てこない。と言うことで、「人権」と言うものについてどう思うか、とユウコがミトに尋ねる。
個人主義の国に比べて集団主義である日本では、文化的背景から人権の尊重に対する意識が薄い様に見える、とミトが発言。
学校で人権についての授業をするも、世界平和とクラス内でのいじめとの繋がりにピンと来ない。
例えばアメリカでは、地域により様々な訛りがあり、各地のニュースはその地域の訛りで放送されている。しかし日本では、全国で共通理解を持たせるために標準語というものが設定されている。この現象は「こうでなくてはならない」という意識を生み、「違う事はいけないことである」という考えを持つ原因になっている、とミトは考える。
二国間で争いが起きるのは、相手のあり方を自分の常識に当てはめて理解しようとするからである。争いを起こさないためには、相手を理解する事が必要なのだが、相手の考え方やバックグラウンドを知る機会というのは、そう多くはない。そうなると、その機会に遭遇しても、相手のあり方を理解しようとする姿勢で常にいられる物でもなくなってくる。
だから、それを可能にするにはまず、自分のあり方や常識、習慣と言ったものが何なのか、正しいのかそうで無いのか、良いのか悪いのかという風に、自らを疑問視することを習慣づける事が大事だ。それにより、「なんで分からないんだろう」が「相手はなぜそう考えるのだろう」に変われば、個々の人権もより尊重され、争いが減ることにつながるのでは無いであろうか。