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2020年12月7日

2020年12月6日 日曜日 8:30 第24回放送

日経新聞のコラムからの「言葉にすることを重視する英語と、日本語は言葉で明確にする意識が希薄で、行間を読んで相手の気持ちを測る傾向がある」という引用文について「言葉にすることを重視する英語」とはどう言う意味でありえるだろうか、という事をユウコがミトに訊ねた。

察しの文化がある様に、「桜」と聞くと「花見、四月、春、入学式」という様に、日本語には1つの単語から別の単語を連想させるという機能がある。だから10ある内容をすべて説明しなくても聞き手が勝手に内容を汲み取ってくれる、という事が可能である。

しかしその機能がない英語においては「桜」という一単語だけでは「桜がどうしたの?」と聞き返されてしまうだけなので、10ある内容をすべて説明する事が必要になる。

つまり日本語では、面倒な説明を回避できる反面、説明が不得意になりやすいということでもある。

日本人は、英語、特にアメリカの映画を見て「どうしてあんなにはっきり物を言うのか」と言って、英語を母国語とする者を自己主張が強いと捉える傾向にあるが、それは自己主張が強いのではなく、はっきり物を言わないと相手に伝わらないと言う言語を話しているものからすると当然のことである。

とミトが説明する。

「英語を母国語とする人は、相手により伝わりやすく話そうとする習慣があると言うことですか」とユウコが尋ねると、「聞き手によりわかりやすく」と言う相手目線ではなく、「自分がいかに理解してそれを論理立てて発せるか」と言う自分からの目線で物を考えているのだ、とミト が回答する。

英語を母国語とする全ての人が自分目線で考えて振る舞っているのだとしたら、衝突ばかりで社会が成り立たないのではないか、ユウコが疑問に思う。

自分目線で考える事は、自分本意で好き勝手やることとは違うし、またそうならない為に理論立てて相手を納得させられる説明をする事が習慣となっているのだ、とミトが説明する。

今日の一曲:私はあなたの空になりたい by 今井みき
ユウコによる選曲

「英語を母国語とする人の考え方の感性が日本人のそれとは大きく異なる」とユウコがコメントし、「その感性で日本にいると色んな不具合が生じるのではないですか?」とミトに訊ねる。

「日本社会において仕事でもプライベートでも、物事をしっかり説明しようとすると理屈っぽいと言われてしまう」とミトが返答。

日本の文化に慣れていて、海外で仕事をすると言うことのストレスは大きい。

自動翻訳機は言語の翻訳はできても、文化の翻訳まではできない。