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2020年8月25日

居⼼地の良い場所

居⼼地の良い場所。それは、⾒つけるのでも、与えられるのでもなく、⾃分で作り上げていくものではないでしょうか。

ホッとできる家庭、⼈⾥離れた⾃然の中、好きな物に囲まれた空間、⼤衆の中、⺟国など、何を持って居⼼地良いとするかは⼈それぞれですが、私たちは⽇常⽣活において、不快と感じることを少しでも減らそうと、努⼒して⽣きています。⽇々の経験から、何を不快と感じるのかを知り、それらを可能な限り取り除いて、最終的に残った環境が、私たち⼀⼈⼀⼈にとっての、「居⼼地の良い場所」ではないかと思います。

「居⼼地の良い場所」とはつまり、理想的⽣活環境と⾔い換えることができるかと思います。ただ、この、物理的環境は⼆次的な物に過ぎません。むしろ、本当に必要なのは、その環境を整えるに当たって、情報や物の良し悪しを⾒極め、⾃分にとって最善のものを選ぶことができるようになるための、考える⼒なのではないでしょうか。

「居⼼地の良い場所」を作る鍵は、考える⼒を育むこと』と聞くと、さほど難しくはないことのように聞こえます。また、「そんなこと当然でしょう」若くは、「いやいや、そんな容易いことじゃないよ」と思う⼈もいることでしょう。あるいは、「私たちが普段、あまり考えずに⽣きている、と⾔われているように聞こえる」と気を悪くする⼈もいるかもしれません。ですが、私たちの⽣活する現代社会、特にこの⽇本という国では、世の中が発展するに連れて、⼀⼈⼀⼈の考える⼒が、ますます奪われてきているという危機感を、切実に感じずにはいられません。そして、その⼈数が増えるほど、私たちの社会のあり⽅も後退し、「⽇本は教育後進国」や、「⽇本はグローバル社会において取り残されている」といったような批評を⽿にすることに⾄っているのだと思います。

中には、「⽇本は、⽇本のやり⽅、あり⽅を通せば良い」と考える⼈もいるでしょう。それならそれで、別にいいのです。ただ、そう⾔うのであれば、他所から多様な要素を取り⼊れ、発展を⽬指すのではなく、極端に⾔うと、着物を着て、職⼈技を磨いていることに留まるべきです。しかし、このグローバル化社会において、当然そんなことは可能ではありません。

番組では、私個⼈の経験を基に、⾔語・⽂化・教育などの観点から、⾃らの考える⼒を奪われることにより⽣じる、数々の問題点について考え、国際社会において、⽇本がどうあるべきかを⾔及するとともに、⼀般的、そして私個⼈の⽬線から、どうすれば⽇本という国が「居⼼地の良い場所」になるかについて、考えていきたいと思います。

ちなみに、私にとって居⼼地の良い場所とは、多国籍が集まることにより、特定の国・⽂化に帰属せず、⽴場や年齢にかかわらず、⼈々が皆同じ⽬線で話すことのできる雰囲気漂う、空港の国際線搭乗⼝付近のような環境です。